平の将門68

 野爪合戦

 
 
 ひとむらのけやき林がある。
 整った林のある所には、かならず家があり、部落をなしていると見てまちがいはない。それは原野の住民が初めに防風林として植えた集団生活の墻《かき》であり、それ以外の雑木林とは、自《おのずか》ら姿がちがっているからである。
 沼地の葦の間を縫い、また、広い野原を駈け、畑を駈け、一すじの土けむりを曳いた騎兵の群れが、今、吸いこまれるように、そこの欅林《けやきばやし》の蔭にかくれた。
「来るぞっ、来るぞ。将門が」
「やがて、野猪《のじし》のように、襲《や》って来ようぞ」
「かくれろ。——姿を伏せろ」
 毛野川の東を、伏兵線の一陣とし、ここの欅林を二陣として、源扶、隆たち兄弟の兵は、二段がまえに、埋伏《まいふく》していた。
 その第一線から戻って来た物見の騎馬たちは、あちこちの味方へこう呶鳴りながら、部落の中の一番大きな家の前へ来て、土塀の中へ、馬をかくし入れた。
「どうした、将門は」
 ここには、扶と隆が、物々しい武装をして、報告を待っていた。屈強の郎党を、二十名もまわりに従え、まるで、大将の本営めかした備えであった。
「うまく行ったか。彼奴を、袋づつみにして、戦闘中か」
 兄と一しょに、弟の隆も、物見の者へ、こうたずねた。
 五、六人の物見の中から一人が答えた。
「はい。合戦は今、野爪《のづめ》の沼と丘の間で起っています。——が、首尾は、思うつぼとは申されません。何ぶん、将門の方にも、用意があったようですから」
「なに。先にも、合戦の備えがあったと。それはへんだな? ……。まさか、こっちの計りを、内通した者もないだろうに」
「どうか、分りませんが、とにかく豊田の郎党も、将門の姿を、遠く離れて、あとから隊をなして従《つ》いて来ました。——ですから、第一線の小勢では、遠矢《とおや》をかけても、袋づつみに、将門を討つなどという事はできません」
「しまった。それでは、やはりあそこ一ヵ所に、総がかりで、伏せておればよかったのだ。——して、戦のもようは」
「何しろ、将門が、怒り出しましたので、豊田勢の強さといったらありません。それに、将頼、将文など、将門の弟たちも一つになり、お味方は、駈けちらされている有様です」
「では、来るな、こっちへ」
「必定《ひつじよう》、お味方の崩れ立って来る方へ、追い慕い、追い慕うて、襲ってくると思われますが」
 扶は、こらえているふうだが、具足の下に、ふるえを見せ、顔も、硬直していた。
 隆は、かえって、あざ笑った。
「いいじゃないか。こっちの作戦どおりだ。ここにも二陣の伏兵はひそめてある。わざと、勝ち誇らして、彼奴を、部落にさそい入れ、四方から火を放って、焼き殺してしまえばいい」
 そこの屋根より高い空で呶鳴る者があった。三男の繁である。繁は、欅の大木から辷《すべ》り降りながらいった。
「毛野べりの方から、真っ黒なほど、土ぼこりが、こっちへ向いて、駈けて来るぞ。将門と、豊田の奴らにちがいない」
 土塀の中は、騒然と殺気だった。扶たちは、馬の背に跳びつくと、たちまちどこかへ、走り去った。郎党たちも、後につづき、残った者は、巧妙に、家々の蔭に、身をひそめた。
 やがて土《つち》旋風《つむじ》の運んで来た人声やら馬蹄の音が、欅林の中にもけむり出した。将門とその家人に追われて来た扶方の伏兵共が、狩られる野兎《やと》のように、あっちこっちへ逃げまどうのであった。そしてついには、敵の一影も見えず、見るのは、将門につづいて来た将頼や将文、そのほか、豊田の郎党だけでしかなくなった。
 
分享到:
赞(0)