決められた以外のせりふ23

「リア王」の魅惑

 
 稽古が終る。パリ・国立調度博物館の大広間を領していた緊迫した空気が、一挙に和む。
 若いフランスの演出家、目下は助手格の小柄なヴィクトル・ガルシアが来て私に言う、「いってらっしゃい」
「グッド・ラック」と、アメリカの青年俳優、ミネアポリスから来たポール・ロウブリソグが私の肩を叩く。
「じゃ、お元気で」とおじぎをするのは、稽古着の浴衣に袴をつけ白足袋を穿いた劇団四季の笈田勝弘である。
「何日ぐらい、行っているんだい?」と、顎鬚の若いイギリス人演出家、これも目下は演出助手の、ジョージ・リーヴズが聞く。
「約二週間」
「なんだって! ロンドンの芝居を見るんだったら、一週間で十分だよ。下らない芝居を見ることはない」
「あなたにとっては、そうかも知れないが」と、私。「私にとっては、初めての外国旅行なのですからね。芝居だけでなく、他のものも見たい。ロンドンだけではなく田舎も見たい」
「なるほどね」と、頷《うなず》いて、「イギリスは、これからがいちばんいい季節なんだ。じゃ、ストラットフォードへも、むろん行くんだろうね?」
「ええ、もちろん」
「ぜひ『リア王』を見たまえ。すばらしい出来だから」
「演出家は?」
「トレヴァ・ナン。若い、優秀なやつだ」
 そこへ、ピーター・ブルック氏が来る。ロンドンとストラットフォードとに劇場をもつロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの最高責任者である。四十五歳だそうだが、ひどく老けて見える。いくらかフルシチョフに似て、いくらかチャップリンにも似ている温顔に、いつもの魅力的な微笑を湛えながら、この「マラー〓サド」の演出家は、いつものように静かな声で私に言う。
「じゃあ、楽しくやって来たまえ」
 広間では、俳優たちがバレエ・ボールの練習を始めている。七時間に及ぶ猛烈な稽古の後で、こんな遊戯をする彼らの体力には、まったくかなわない。デルフィーヌ・セイリーグがいる。サミー・フレイがいる。トム・ケンピンスキーがいる。ヘンリー・ウルフがいる。その中に混って、いつの間にか笈田君も、一所懸命に球を追っている……
 そもそも、このプロダクションは、毎年パリで開催される世界演劇祭の、今年のプログラムの付録とでも言うべき形で、立案されたものであった。
 この、仮に「即興と選択」と名づけられた冒険的な試みは、英仏米日四カ国の俳優が、それぞれの国語でせりふをしゃべりながら、一つの芝居を演じるという、文字通り画期的な実験で、プロデューサーのジャン・ルイ・バロー氏、演出のブルック氏、年来の友人である二人は大した熱の入れようであった。日本からは、鈴木力衞氏の推挙によって、笈田君が参加し、たまたまパリに到着した私は、ヴィジターとして、いわば介添の役をつとめたのである。
 即興劇の骨格をなす物語として、シェイクスピアの「テンペスト」が選ばれた。
 ブルック氏の稽古は、かなり異様なもので、俳優たちに一切、言葉を禁じることから始まった。声あるいは音は出してもよいが、意味のある言葉を口にしてはいけないのだ。俳優たちは思考と伝達の記号としての言葉を奪われて、原始人のごとき存在に還元されてしまうのである。
 原則は二つある。その第一は、必ず身振りや行動の結果として感情があらわれるようにすること。第二は、一旦ある感情が生じたら、決してそれを中断せず、理性や意志による抑制や転換を行わず、感情のおもむくままに、その発展、拡大、高揚を、極限まで押し進めることである。
 闘争と、その後の深い眠り。緩慢な眼覚め。知覚が戻ってくる。彼らは自分の存在を確かめ、周囲の空間を手探り、互いに触れ合い、他者の存在に気づく。その接触から、どんな感情が生れるか。
 これだけのテーマに、一日、七時間を費やすのだから、演出家も、俳優も楽ではない。
 ある日は、俳優たちに、樹木や土や火や水や空気に化身することを要求する。
 次の日には、地底で眼ざめ、硬い礫層《れきそう》と、柔らかい泥と砂とをかき分けて、海中を泳ぎ昇り、空中を上昇するうち、炎に包まれ、身を焼かれながら遂に天上に到達するある存在を演じさせる。
 他の日は、自分の子供を食べてしまった伝説中の隻眼の巨人の体験を、身振りと声だけで語らせる。
 稽古の合間には、他者との接触、交流のための練習課題を、自習させる。
 ブルック氏の計算は綿密で、日を追うにつれて、俳優たちは超人間的な感情の体験から、その深さと激しさとを保ちながら、次第に人間的な感情の体験へと導かれて行った。そしてブルック氏は、どうやら、言葉と身振り、あるいは思考と官能、精神と肉体の未分の状態、一切が混沌《こんとん》としていて、不定形で、流動している状態の人間に興味を持っているようであった。
 ブルック氏はこういう方法を、単に即興劇の稽古のための課題として用いているのではなく、実際の演出に際しても、全面的に採り入れているらしい。ジョージ・リーヴズによれば、その最初の試みは、数年前の「リア王」であり、後の「マラー〓サド」に至って定着した由である。
 ブルック氏の「リア王」とほぼ同時期に、ポーランドの演出家グロトフスキーが、「聖書」を上演した。その手法は、まったくブルック氏のそれに似て、声と身振りと歌とによる一種の儀式であったという。「聖書」と「リア王」と「マラー〓サド」の上演のもたらした衝撃的な効果は、今でも、イギリスの俳優たちの語り草になっているようであった。
「トレヴァ・ナンの『リア王』? 悪くないよ。いや、それどころじゃない、とてもいい。難を言えば、美しすぎるくらいだな。そこへ行くとブルックの『リア王』は、凄かったからなあ。スコフィールドのリアもよかったしね。まあ、見て来たまえ」
 あるイギリスの青年俳優は、そう言って、別れの手を振った。
 
 ロンドンに一週間。ストラットフォード・アポン・エイヴォンを訪れる。シェイクスピアの生れ故郷は、つつましい、閑雅な、美しい町である。
 劇場は、エイヴォン河の畔《ほと》りにある。
 幕は、初めから明いたままである。
 おどろいたことに、舞台には何もない。柱もなければ、階段もない。ただの、空《から》の舞台である。正面奥に黒幕が一枚あるばかりである。
 その黒幕も、幕とは見えない。光を完全に吸収してしまっているからだ。トレヴァ・ナン演出の「リア王」は、深い暗黒の空虚の中で始まった。音楽はない。
 上手から、グロスターとケントが登場する。二人とも、黒い服を着ている。
 二人の忠臣は舞台中央前面に、観客に向って立つ。二人はそのままの姿勢で会話を交わす。能の名告《なの》りを聴くようである。
 グロスターの庶子、エドマンドと、ケントの家来とが、二人の後方に立つ。二人とも、濃い灰色の服を着ている。
 嚠喨《りゆうりよう》たるラッパの響きが、王の出御を告げる。グロスターとケントは、マントを纏う。二人とも、同じ黄金の網のマントである。
 と、仄暗い上手の奥から、リア王の三人娘、ゴネリル、リーガン、コーディリアを先頭に、廷臣たちが登場する。三人の娘たちは三人とも、黒い服を着て、三人とも、ガーベラの花弁のような黄金の冠、黄金の網のマントを纏っている。廷臣たちはみな、グロスターやケントと同じ恰好をしている。
 つまり、ここでは、衣裳や小道具による性格の表現は、初めから抛棄されてしまっているのだ。
 つづいて、王位の象徴と見られる、巨大な黄金の剣を捧持した兵士。
 その後から、途方もなく巨大な、黄金の網に被われたピラミッドのような、得体の知れない物体が、ゆらめきながら現われる。三十人ほどの兵士に担われている、その化物のような輿《こし》の頂には、これも、玉座の象徴であるかのように、生火《なまび》が燃えさかっている。
 すると、三人の娘をはじめ一同は、まったく意外な迎え方をする。日本式に膝をついて正坐し、双手をあげ、祝詞か呪文を唱えでもするように、一斉に低い唸り声を発して平伏するのである。まさしくブルック流である。
 兵士が、輿の黄金の網を左右に開く。丈の高い、黄金の椅子に倚って、そこに、リア王がいる。黒と黄金の衣裳。ガーベラの花弁に似た黄金の冠。炎を頂いた巨大なピラミッドのような黄金の網が、漆黒の背景の中に浮び上る。リアの玉座、リアの威光を唯一の装置として、悲劇がはじまる。
 この開幕の効果は圧倒的で、眼を見はらせる美しさがあり、同時に、リアの悲劇を、一切の歴史的背景から切り離して、詩的宇宙の一王国の物語たらしめようとする演出家の意図が、水際だった手並みで呈示されている点から見ても、トレヴァ・ナンの演出家的天分は疑いようがないのだった。エリック・ポーターのリアもみごとだが、これは、演出の勝利である。
 彼はまた随所に、すばらしい「つなぎ」の場面を見せてくれた。
 狩りから帰ったリアと家来たちの「大騒ぎ」は、狩りの儀式のパントマイムとして表現された。猪の皮を冠った一人の兵士を、他の兵士たちが円陣を描いて取り囲み、槍の石突で床を鳴らして攻め立てる。猪が遂に倒れると、リアが現われて双手を挙げる。猪はリアの足元に身を投げる。私は、ハリソンの名著「古代藝術と祭式」を思い出し、折口信夫を思いだした。それは私が、劇場の舞台で見ることを、まったく予測し得なかった情景であると同時に、まさに劇場以外には見ることの不可能な生き生きとした行動の再生であった。
 また邪《よこしま》な二人の姉娘、ゴネリルとリーガンの館への道中は、暗い逆光の中の暗鬱な行列の行進によって示された。先頭には、道化が、響きの鈍い小太鼓を打ち鳴らしながら、踊っていた。
 後になって、この、装置もなく、音楽もなく、照明の変化と、音響効果のみで、四時間に余る大作を、しかも途中一回の休憩のみで、いささかの緩みもなく演出し通したトレヴァ・ナンが、二十八歳の青年であると聞かされた時のおどろきを、私は今でも覚えている。
 とんでもないやつがいるものだ、と思ったが、つまり、これが、伝統というものだろうと、思い直した。ブルック小父さんのやったことも見ているし、もう一人のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの責任者である、ピーター・ホール小父さんの、より保守的な演出も、ちゃんと勉強している。むろん、ロンドンのもう一つの国立劇場、オールド・ヴィックの演出家たちからも、学ぶ所があったにちがいない。
 ピーター・ホールがやめたので、今シーズンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの藝術監督には、トレヴァ・ナンが就任するそうである。三十代、四十代の先輩演出家を追越したわけだ。ブルック氏も、いい弟子を持ったものである。
 二週間の予定だった私のイギリス滞在は、延びに延びて、四十日に及んでしまった。フランスの学生騒動で、飛行機が止り、パリへ帰れなくなってしまったせいもあるが、イギリスの芝居がおもしろかったせいもある。私は、イギリスの芝居の魅惑に、その大胆な革新によって、伝統が再発見され、その古きをたずねて新しい表現を発見するに至るいかにもイギリス人らしい手続きと気組みのおもしろさにすっかり感心してしまったのであった。
 
 パリでの公演が不可能になったので、ブルック氏とその一座は、ロンドンへ引越して来た。コヴェント・ガーデンの青物市場の中にあるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの稽古場で、相変らずの稽古が続いていた。
 公演を見て帰りたいが、それだけの余裕はない。六月の末のある日、私は別れの挨拶をしに稽古場を訪れた。
「しょっちゅう、すれ違いだね、お前さんとは」と、顎鬚のジョージ・リーヴズが言う、「しかし、まあ、四十日もいれば、もうイギリスの芝居も見尽したろう。もっとも、パリへ帰ったって、何もやっていないけれど」
「芝居より何より」と、私。「荷物が置いてあるから、パリに帰らないわけには行かないんだ」
「じゃ、お元気で」と笈田君。振り向くと、ピーター・ブルック氏の笑顔がある。
「いろいろ有難うございました」
「こちらこそ」と、握手をしながら、ブルック氏は意外なことを言った。「今度は東京で会いましょう。その節はよろしく」
 私は、びっくりしたが、翌日、ブリティッシュ・カウンシルのミス・エッジワースが教えてくれた。
「来年、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが、日本へ行きますよ」
 トレヴァ・ナン演出の舞台が、東京で見られることは、ほぼ確実である。
                                             ——一九六八年一二月 藝術新潮——
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