攘夷可乐 道内骄子

いまから半世紀ほど前、コアップガラナという名の炭酸飲料が日本各地で一斉に売られた。中小の清涼飲料メーカーが鳴り物入りで共同開発した国産コーラだった。

 
距今大约半个多世纪前,有一种名为“コアップガラナ”的碳酸饮料在日本各地同时上市。据当时的宣传,这是众多中小清凉饮料制造商共同开发的国产可乐。
 
ガラナは南米原産の植物。日本で飲料に使われたのは、米国から上陸するコーラに対抗するためだった。「ブラジルでは米国製コーラが意外に不振」と聞いた国内飲料業界がガラナ飲料を研究。ブラジル大使館の協力で実を輸入し、商品化した。1960年の春のことだ。
 
瓜拉纳是原产南美的植物。之所以在日本被作为饮料的原料,是为了对抗来自美国的可乐。听说了“在巴西,美国生产的可乐意外销路不畅”的国内饮料业界着手对瓜拉纳饮料展开研究。通过巴西大使馆的帮助,他们从巴西进口原料,并将其商品化。这是1960年春天的事情。
 
当時の新聞を見ると、九州では「コーラ輸入阻止」決起集会が開かれている。果汁業界も立ち上がり、国会ではミカン産地の議員が「果樹農家をつぶす気か」と訴えた。全国で約60社が同じ商標のガラナを売った。
 
看了当时的报纸得知在九州地区为此举行了“阻止进口瓜拉纳”的誓师大会。果汁业界也站了出来,在国会,来自橘子产地的议员大声疾呼“这是打算消灭果农吗?”在全国,有大约60家公司销售同一商标的瓜拉纳饮料。
 
しかしコーラは強かった。各地で地場業者を圧倒していく。例外は、コーラ進出が3年ほど遅れた北海道だ。函館の飲料会社「小原(おばら)」がラムネやサイダーで築いた販売網をフル回転させた。
 
但是,可乐实力强劲。在各地,当地的公司逐渐被压制。但也有例外,那就是北海道,可乐进入当地市场差不多晚了3年。那时,函馆的饮料公司“小原”全力运转着日式汽水构筑的销售网络。
 
「あの3年が勝負でした。本州以南ではコーラと激しくぶつかったが、道内には先手を打つ時間がありました」と6代目社長の小原光一さん(64)。いまも東京などでは他社が製造を続けているが、小売店ではあまり見ない。ガラナは北海道にだけ定着した。
 
“那三年决出了雌雄。虽然本州以南地区,被可乐攻陷,但是在北海道,还有抢占先机的时间”,第六代社长小原光一先生(64岁)说到。现在在东京等地还有其他公司在持续生产这种饮料,但是在零售店里几乎绝迹。唯有在北海道,瓜拉纳扎下了根。
 
筆者が初めて飲んだのはつい先日、函館でのこと。コーラという黒船に列島全土で立ち向かうはずだった「攘夷(じょうい)コーラ」の来し方を思った。道内出身の方々には、旧聞に属する話だったかもしれないが、開業した新幹線に免じてお許し願いたい。
 
我第一次喝这种饮料也是在前不久,地点是函馆。面对名为可乐的黑船,全日本生产了“攘夷可乐”,我想起了这段往事。对于出生于北海道的各位而言,或许这是旧闻,但看在开业的新干线的份上,就容我啰嗦几句吧。
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