『土のこやし』11

11. 牡蛎の安全観

 
 誰しも身の安全を確保したいと思います。それは小さくは自分の身体の安全であったり、もう少し大きくは生活の安定であったりします。その上で己の能力を十全に発揮することができれば楽しい人生であることになります。
 
 それはその通りなのですが、どの様にして安全を計るかというときに、2つの考え方があります。第一のやり方は、自分の周りにいわば防御の柵をはること、自分を城壁で囲うことです。攻めてきても自分まで届かない安全な聖域を確保しようということです。これは一応いいのですが、しかし城壁を破るような強い敵が来たときはやられてしまいます。そこでそういうことのないように、限りなく城壁を厚くしようということになります。身を鎧甲で固め、堀を廻した城郭の奥深くに潜むということです。しかしこのやり方は安全が確保されれば確保されるだけその人は自由が制限され、孤立するということになります。この例は極端ですが、それでも、身の回りを囲むというやり方での安全の計り方は、日常我々のよくやるものです。これをアメリカの一般意味論の指導者であるS.I.ハヤカワは「牡蛎の安全観」と名づけています。
 
 ハヤカワはこれに対して周りを囲まずに裸でいたほうがかえって安全だといいます。防御壁を張り廻す代わりに、人間としての知恵と機転と熟練をフルに動員するのだというのです。例えば、私たちは車を運転していて、高速道路を用いて短い時間で遠くにいったり、混雑している都心を通り抜けたりして、事故もなく帰ってきます。このとき私たちは無防備です。まさか危険だからといって、戦車で高速道路を走る人はいません。無防備でも知恵と工夫と慣れで無事帰ってくることができるのです。そしてこちらの場合は動きは自由で、孤立することなく周囲に直接触れ、その時々に周囲の世界に直に触れ、周囲から学び、成長することができます。そしてそれによって益々自身は安全になるのです。 
 
 ただしここで必要なのは、知恵と工夫と、そして未知の事柄を恐れない、言い換えれば未知なものに興味をもつチャレンジの精神ということになります。
 
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