贋食物誌58

     58 番茶㈰

 
 
 神田連山という人がいて、神田山陽の元の弟子である。年頃は師弟同じくらいか、二人とも将棋が強い。先日テレビの将棋番組をみていると、山陽さんが出てきて司会の役をしていて、懐しかった。
 連山のほうが、元の師匠より強いというウワサで、将棋の出張指南をして生計を立てていた時期もあった、と聞いている。
 ところで、講釈師はときどき釈台《しやくだい》を威勢よく張り扇で叩くが、あのあいだに息を継いでいるのである。落語家のほうも、傍に湯呑茶碗を置いて、ときどきゆっくりした仕草で口をつける。その中身は白湯《さゆ》か番茶か。声を使うプロのあいだでは、番茶でウガイすると咽喉《のど》によい、といわれている。お茶と一休みとは密接につながるが、落語家のあの動作は、客席に向ってひろげた投網《とあみ》を引きよせる頃合を探っている気配を受ける。
 この連山という人物についての話題は、芸界の人と話をしていると、しばしば出る。一つ話になっているが、若いころ言いつけられて、庭の松の枝を切ることになった。
「ドスーン」
 という音がしばらくすると響いてきて、連山が地面にころがっている。自分のまたがっている松の枝の根元をノコギリで切断したので、枝と一緒に墜落したのである。
 これも若いころ、家に帰ってみると女房が間男をしていて、その男が逃げ出した。連山さんも追っかけた。
「ところが、この男が速いのなんのって。あとで聞いたら郵便配達の人だった」
 というのも、オカしい。昔の郵便配達夫というのは、健脚のイメージがあった。
 そこで世をはかなんで、六郷の橋から多摩川に飛びこんだ。飛びこんでから気づいたのだが、元海軍の水兵だったので、しぜんに体が浮いて泳いでしまい、溺《おぼ》れ死ぬことができない。
 今度は、鉄道で轢《ひ》かれて死のうと、線路の上に横になっていた。ツルハシを肩にした線路工夫が何人か通りかかって、
「なにをしてるんだ」
「カカアが間男しやがった、鉄道自殺するんだ」
「夜中なんだから、きょうはもう汽車はこないよ。おまえ商売はなんだい」
「講談で」
「一席やってみろ」
 といわれて、工夫部屋に入って「太閤秀吉」を口演したところ、
「おまえ、ホントに下手だなあ」
 と、感想を述べられた。
 これは、柳家三亀松から直接聞かされた話だが、異説もある。
「宮本武蔵」を一席うかがうと、
「弱そうなムサシだなあ」
 この連山が、数年前ついに真打に昇進した。老齢の奇人の真打ということで話題になり、週刊誌などで記事になった。
 そのころ、神田連山と私との対談の企画があった。そういう人物なのだから、真打昇進などべつに何ともおもっていないだろう、と私は予想していた。ところが、その話題になると涙を浮べそうなほど喜んでいて、意外であったが、すぐになるほどなあ、とおもった。
 世に伝えられている奇行は、連山の頭の判断では、きわめて当り前に振舞っていたにすぎないのだ。結果として、それが奇行になる。
 いずれにせよ、奇人に間違いない。
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