『論語』の八イツ篇-13

[白文]13.王孫賈問曰、与其媚於奥、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所祷也。

 
[書き下し文]王孫賈(おうそんか)問うて曰く、其の奥(おう)に媚びんよりは、寧ろ(むしろ)竈(そう)に媚びよとは、何の謂(いい)ぞや。子曰く、然らず。罪を天に獲れば(うれば)、祷る(いのる)所なきなり。
 
[口語訳]王孫賈が尋ねて言った。『部屋の奥の神の機嫌を取るより、竈(かまど)の神の機嫌を取れという諺(ことわざ)は何を意味しているのでしょうか?』先生は言われた。『そうではない。至高の天に対して罪を犯したならば、何処にも祈る場所などはないのです。』 
 
[解説]衛の霊公の大臣であった王孫賈は実力で霊公を圧倒して、事実上、衛の政権を掌握していた。孔子は衛に亡命したのだが、その時に実力者の王孫賈を無視して、正統な君主である霊公に丁重な挨拶をしにいった。これに憤慨した王孫賈は、『部屋の奥の神の機嫌を取るより、竈(かまど)の神の機嫌を取れ』という諺(ことわざ)を引いて、『名目上の君主である霊公』ではなく『実質上の君主である王孫賈(自分)』に断りを入れるほうが孔子の利益になることを説こうとした。しかし、周の礼制を尊ぶ孔子はその不正な申し出を断り、『至高の天(正統な身分秩序)』に逆らえば、誰に祈っても全ては無意味なことであると説いたのである。天命思想や王政復古を前提とする儒教では、家臣が君主の身分を実力で簒奪する下克上(謀反・反乱)を極めて厳しく非難する。
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