『論語』の為政篇-09

[白文]9.子曰、吾与回言終日、不違如愚、退而省其私、亦足以発、回也不愚。

 
[書き下し文]子曰く、吾回と言る(かたる)こと終日、違わざること愚なるが如し。退きてその私を省れば(みれば)、亦(また)以って発らか(あきらか)にするに足れり。回は愚ならず。
 
[口語訳]先生がこうおっしゃった。『顔回と一日中話していても、顔回は従順であり私の意見に対する異論や反論をすることがまったくない。まるで愚か者のようである。しかし、私の前から退いて一人くつろぐ顔回をよく見てみると、(私の道を実践する者として)思い当たらせるものがある。顔回は愚か者ではない。』 
 
[解説]顔回(顔淵)とは、孔子が最も深く愛し将来を嘱望した高弟であり、孔子の諸国遊説以前から孔子に師事していた人物である。顔回は、巧言令色を好まず議論で積極的に意見を述べることも殆どなかったが、寡黙な態度を保持しながら内面に徳の高さを感じさせる人物であったという。ここで「発らか(あきらか)」と書き下した部分は、「何かを感じ取らせる・思いつかせる」という意味であり、寡黙で言葉によって智謀を発揮しない顔回の「隠された徳」を、孔子が思いついた(洞察した)という意味に解釈することができる。顔回は孔子よりも早く41歳でこの世を去り、最愛の弟子に先立たれた孔子は深い悲しみに襲われることになった。
 
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